| 第十四章 夜の旅路 T 夜。 その村では見慣れぬ二人組が、集落よりやや離れた教会へと辿り着いていた。 建ってまだ何年もたっていないのか、まだ綺麗な建物を見上げ、二人のうちの一人はやれやれと息を吐く。 「ようやく着きましたね。ずいぶん歩きましたが、ここで終わりです」 相変わらずの丁寧な口調で、ディアンは隣に佇む少女へと声をかける。 少女は何も答えなかったが、無反応ではなかった。一度その小さな教会を見上げ、そしてディアンへと視線を移す。 どうやら彼女もまた、何かに気づいたらしい。 「どうやら見た目通りの中身というわけにはいかないようですね。まあ、だからこそ派遣されてきたわけですが……」 肩をすくめ、荷物を持ち直すと、彼は中へ入る扉をくぐった。 それに続く、少女。 「これはまた……」 中に一歩踏み込んだだけで、その惨状に眉をひそめる。 建物の外見とは対照的に、中は酷く荒れ果てていた。 壊され、散乱する物。 そして、壁に飛び散っている、黒い染み。 「どうやら前任の方は、噂通り帰らぬ人になっていたわけですね……」 壁だけではなく、床にも黒い染みが広がっている。暗くてよく見えないが、探せば恐らく遺体を見つけることもできるだろう。 「とりあえず、どこか眠れる場所を探しましょう。片付けは、朝になってからということで―――」 彼が全てを言い終えるよりも早く、後ろにいた少女が前へと跳び出していた。 ギィン! 突如撒き散らされた火花が、一瞬周囲を明るくする。 「なに……!?」 上がったのは、第三者の声だった。 身長に見合わぬ長い剣で、鞘のままで受け止めた相手を見て、その男は驚愕に目を見開く。 競り合いをする男の剣にいくら力を込めても、受け止めた相手はびくともしない。 それどころか相手のその紅い瞳に見つめられた瞬間、総毛立つ悪寒を感じて、後退を余儀なくされる。 少女は追い討ちをかけなかった。 「……助かりました。イリス」 こうなるであろうことを予測していたディアンは、特に驚いた様子も無く、少女に礼を言う。 そして数メートル先にいる男へと、視線を向けた。 闇にまぎれ、しかも黒っぽい服を着ているせいでよくは見えないが、それでもそこにディアンの命を狙った相手がいることは、間違いない。 「前の方も、こんな風にここで命を落とされたんでしょうかね。なるほど、この土地は我々のことがお嫌いのようです」 平然としているディアンに、暗殺を目論んでいた男は小さく舌打ちし、再び打ちかかって来る。 「――まだ三人ほど潜んでいるようです。気をつけて下さい」 迎え撃つイリスへと、ディアンは声をかけた。 それが届いているのかいないのか、彼女は無言のまま剣を振るう。 足場も悪く、狭い空間で相手の位置も定かでない状況だというのに、イリスはまるで危ぶむ様子も無く剣を受け、弾き、相手を切り裂く。 たったの数分間の間に、一方的な殺戮は終わろうとしていた。 怒声に、肉を切り裂く生々しい音に、悲鳴。 四人いた相手のうち、三人は死体となってすでに彼女の足元に転がっていた。 「イリス」 更に最後の一人を始末しようと彼女が踏み出したところを、ディアンが呼び止める。 「とりあえず、一人は生きていてもらいましょう。手加減してもらえますか」 「……うん」 別段不満な様子も無く、イリスは淡々と頷く。 その彼女の視線に捉えられるよりも早く、男は窓から外へと飛び出していた。 形成不利とみての、撤退。 イリスは追わず、ディアンの言葉を待つ。 「――レザレフ・ラフマン。名の知れた暗殺者ですよ、彼は」 「強いの?」 「ええ。前任のハルガーニ司祭は、一線より退かれたとはいえ元アトラ・ハシース。その彼を容易に暗殺したのですから、腕は確かでしょうね」 「……わたしじゃ、殺せない?」 その控え目な台詞に、ディアンは軽く微笑した。 「あれ以来、あなたは少々臆病になりましたね。でも、それは良いことです。あなたに足りなかった考えるという経験を積む、良い機会となりましたから。そして臆病であれば、慎重にもなります。――しかし、そろそろ自信を取り戻しても良い頃ですよ」 今から四年前の異端裁定において、彼女は手酷い敗北を経験している。 しかしあれ以降、彼女の行動はとても慎重になった。 よほどあの時のことが堪えたのだろう。しかしかえってそれが、今の彼女にとっては良い経験になったことは間違いない。 「じゃあ、追うね」 ほんの僅かに微笑んで、イリスは男の後を追った。 「笑えないわけではないんですけどねえ……」 そんな彼女を見送りながら。 どこか複雑な吐息を一つ、彼は洩らした。 クリセニア領・ラウ・ダナン。 もっともゼルディア領に近いこの村は、クリセニアが僧会統治下に置かれた後も、それに抵抗し続けている地である。 三年前に、異端裁定意の無期凍結が定められたせいもあって、僧会は大規模な軍の派遣もできず、今に至っている。 そのせいもあって、今では異端の地であるゼルディアとの緩衝地帯となっていた。 しかしそのため僧会とのトラブルが絶えず、現在までに派遣されてきた神父のほとんどが、この村で消息を絶っているのである。その全てが、異端の者によって殺されたとみて間違いない。 ディアンの前任にあたるハルガーニ司祭も、これまでの犠牲者の中の一人だった。 「……貴様」 一度は完全に振り切ったと思ったにも関わらず、気づけば追手は目の前にいた。 さすがに驚きを隠せずに、レザレフは相手を見返す。 「アトラ・ハシース、か」 そういえば最初の不意の一撃を防いだのも、この少女だった。 そして潜んでいたあの三人をあっさりと殺してのけたのも、この相手。 「僧会もさすがに警戒したか……。大した護衛をつけたもんだぜ」 「逃げられないよ。貴方」 「ガキのようだが、よく言う」 にやりと笑って、彼は一歩引いた。 「一緒に来て。ディアンが、貴方は殺さずにって言うから」 「――嫌だね」 鼻で笑い、地面を思い切り蹴る。 向かった先は、イリスとはまったくの逆の方向。 彼に、彼女と戦う気など無かった。一度剣を交えた時点で、勝てぬ相手であると判断している。であれば、後は逃げる以外に選択肢など無い。 「……無駄だよ」 あっさりと言い切って、イリスは追う。 彼女もレザレフを追う間に、相手の実力を大体把握することができていた。ディアンがあんなことを言うから警戒したけれど、たぶん相手は格下だ。油断さえしなければ、容易に捕えることも、殺すこともできるだろう。 「ちっ……!」 必死に走るが、どうしても振り切れない。 そして明らかに余裕があるのは向こう。 いつ仕掛けるか、タイミングを計っているのが気配で分かる。 「くそ……っ。このオレとしたことが、できねえ仕事を引き受けちまうとはな―――」 毒づくが、どうしようもない。 背後に気配が迫る。 閃くのは、刃の光。 駄目か―――そう思った瞬間、だった。 ふっと大きな黒い影がよぎり、イリスの一撃を弾き返す。 「――――?」 さすがに驚いて、イリスは一旦退いた。 割って入ったのは―――黒く大きな獣。 「おう! ヴァーグラフか!」 間一髪で救ってくれた獣を見て、レザレフは思わず歓喜の声を上げる。 「助かったぜ、くそっ!」 迷わずその背に飛び乗れば、ヴァーグラフは疾風のように走り出す。 その驚異的な速度の前には、さしものイリスも追うことはできずに。 「…………」 失態。 しかしそんなことよりも、彼女には気になることがあった。 一瞬その姿を見た、大きな獣。 「なんだろう……」 見たことはないはずだというのに、なぜだか記憶のどこかに引っかかる。 答えは出ず、少女は首を傾げることしかできなかった。 U 「どわっ!?」 突然放り出され、レザレフは地面へと顔面から着地してしまう。 当然、無茶苦茶に痛い。 「なにすんじゃコラ―――」 ぐああと吼えると、太い足に蹴り飛ばされた。 そのままごろごろと地面を転がっていく。 「つ……いててて……!」 顔をしかめて転がったまま上を見上げると、そこにはこちらを覗き込む黒い大きな影。 グゥウ、と小さな唸り声が耳に届くと、彼は冷水を浴びせられたように表情を変えて、大急ぎで笑顔を作った。 「いや、すまん。オレからの礼が先だな、うん。いくら安全になったからって、問答無用で放り出されたのは抗議したいが、不問に付す。うむ、オレって寛大だ」 「……なに言ってんのよ」 後ろで、呆れた声が響く。 「ヴァーグラフ、ありがと。わざわざこんなの助けてくれて」 「おいこらレダ! 誰がこんなの―――のぎゃ!?」 うるさい男を踏みつけてヴァーグラフの方へと歩くと、少女はその獣の毛並みを撫でてやった。 「人間のくせに、気安く私の名前を呼ばないでくれる?」 「て、てめ〜……」 睨み付けるが、当の本人はどこ吹く風といった様子で、レザレフから目を離してしまう。 そのどこまでも冷たい態度に、彼は大きくため息をついた。いつものこととはいえ、いい加減そろそろ普通に接してくれてもいいだろうに、と思うが、まあ無理なのだろう。 「その全般的な人間嫌い、いい加減に治したらどうだよ。みんなに嫌われちまうぞ?」 そう言うと、ぎろりと睨まれた。 まだ大した歳でもないだろうに、妙に迫力がある。 「嫌いな連中に嫌われたからって、痛くもかゆくもないわ」 きっぱり言い切られて、レザレフはああそうですかと引き下がった。 「……まあいいけどな。それよかあんた、よくオレのこと助けてくれたよな?」 「失敗すると思ったからよ」 「……おい。はっきり言うなよ傷つくぞ」 「うるさいわね失敗したくせに」 「ぐ……」 返す言葉に詰まる。 こんな小娘に言われるのは癪だが、事実なのでどうしようもない。それに、紛れも無く助けてもらってしまっている。 「なんだよ。あんた、今回の相手がやばいって知ってたのか?」 「知らないわ。ただあっちもそんなに馬鹿じゃないでしょうから、そろそろ腕の立つのを送って寄越すんじゃないかって思っただけ。……残念だけど、予感的中だったみたいね」 レザレフの姿を見て、レダは小さくを息をついた。 「で、どうだったの?」 「惨敗だよ、くそ」 自分の負けをあっさりと認め、彼は大の字になって、その場にひっくり返る。 「命辛々、さ。奇襲は失敗。集めといた連中は、ほとんど一瞬で全滅。オレは逃げて逃げて――危ういとこを、ヴァーグラフに助けられたってわけだ。マジで生きた心地がしなかったな」 「ふうん……」 目を細めて、面白く無さそうにレダは聞く。 「どんな奴?」 「ガキだよ」 「ガキ?」 「ああそうだ。相手は二人組だったんだけど、殺しまくったのは片方の小さいガキさ。しかも女だったな。あんたより歳は下だろうよ」 意外な報告に、眉をひそめるレダ。 「アトラ・ハシース?」 「さあな。でも多分そうだろ。どうにも人間離れしてたからな……」 「そう……」 人間は嫌いであるが、それでも実力としてならこの男のことを、レダは認めていた。何といっても一度、二人は戦ったことがあるのだから。 「……私より、強い?」 少し迷ったが、そう聞いてみる。 「多分な」 あっさり断言されて不愉快ではあったけど、事実なのだろう。それに自分はまだそんなに強くはない。 「んで、どーすんだ? オレとしてはもう御免だが、もう一度やるのか?」 どうやら相手はこちらより強く、奇襲は通じない。しかも二人。 「もう一人は?」 「男だった。はっきりとは確認できなかったし、そんな余裕も無かったけどな。とりあえず、声は男のもんだったと思う。……しっかしなあ、どっかで聞いたことあるんだよなあ……あの声」 「知ってるの?」 「だから顔は見てねえよ」 「じゃあまずそいつのことを調べて。派遣されてきた神父はその男でしょうから」 そう言うと、レザレフはあからさまに不服そうな顔になった。 「言っとくが、オレの稼業は暗殺だぜ? 何でちまちまこそこそしなきゃならねえんだよ」 「こそこそ後ろから刺すしか取り得が無いくせに、よく言うわ」 ふん、と鼻をならしてそっぽを向くレダ。 「て、てめ……」 物凄く不愉快なことを言ってくれるが、暗殺とはそういうものである。 「とにかく今回は慎重にいくわ。手出しできる相手がどうか、ちゃんと見極めるの。だからベイク達にも言っておいて。仲間を殺されたからって、早まった真似はしないでって」 「そういうのは自分で言えよ。あいつらが好きなのは、オレじゃなくてあんたなんだしよ」 「――いちいち文句言うんじゃないわよぶっ殺されたいの!?」 思い切り怒気を込めて睨みつけると、レザレフはふるふると頭を左右に振った。 「ぶっ殺すとか言うなよ女が」 「うるさいわね」 「男はみんな逃げちまうぜ?」 「――――」 「おわっ!?」 思わず飛び退いたその場所を、勢いよく振り下ろされたのは彼女の剣だった。 「ま、待てよ!? 怒るのは図星な証拠、悪いのはオレじゃなくてだな―――」 「問答無用! プラキア様に代わって処刑してやるわ!」 「ちょっと待て――――っ!」 剣を振り回すレダから、必死になってレザレフは逃げ回る。そんな様子を、欠伸など交えながら見守るヴァーグラフ。 「何だよ好きな男でもいるのかよ!?」 「黙れ!」 「くそ、そいつに言いつけてやるからな―――!」 「ぶっ殺す―――!」 逃げ惑うレザレフを、追いかけ回るレダ。 何やら不毛な時間は、しばらくの間続くのであった。 V 「しかし意外ですねえ……」 ほとんど廃墟と化していた教会の中の片付けをしながら、のんびりとディアンはつぶやいた。 昨夜が遅かったこともあり、彼が起きてから大して時間はたっていないが、すでに昼を過ぎてしまっている。 昨日はどうにか寝れる場所だけを確保して、片付けは今日に回すことにしたのだ。 「……何が?」 荷物を持つ手を止めて、イリスはきょとんと聞き返す。 「あなたのことですよ。昨日は遅かったので詳しくは聞きませんでしたが、あなたが相手を逃してしまうなど、とても珍しいことでしょう?」 というより、二人が旅をするようになってからは初めてのことだ。 「向こうの方が、足が速かったの」 「なるほど」 苦笑して、ディアンは頷く。 彼女がそう言うのなら、確かにそうだったのだろう。この少女は決して嘘など口にしないのだから。 「しかし彼は逃し、他は全て殺してしまいましたからね。情報が得られなかった上に、出かけた者が帰らなかったとすると……こんな小さな村ですから、すぐに噂は広まるでしょう。きっと好意はもたれないでしょうね」 ほとんど四面楚歌といって、差し支えない状況だ。何しろ初めから待ち伏せされているような所である。こんな所にたった二人で乗り込んでくるなど、無謀以外の何者でもない。 「ふうん」 現状が分かっているのかいないのか、イリスは無関心そうに頷いて、作業を再開する。 「このゴミ、どうするの?」 「それは庭に集めて置いておいて下さい。後で燃やしてしまいますから」 「……あれは?」 彼女が視線で尋ねたのは、棚から崩れ落ち、誇りまみれになった蔵書だ。昨日の一件で血糊などが大量に付着しているものもあり、ゴミに見えなくもない。 「読みたいのでしょう? 燃やす必要はありませんよ。……まあ汚れの酷いものもありますから、何とかしたいところですけどね」 「うん。前の所から持ってきた読みかけの本があるから、それを読み終えたらここにあるのを読むことにするね」 そう言うと、イリスは庭の方へと歩いていく。 「勉強が好きですねえ……」 彼女の後姿を見つめながら、ディアンは小さくつぶやいた。 無論彼女のことであるが、勉強好き――というのは、少々語弊があるかもしれない。 二人で旅をするようになってから分かったことであるが、イリスはよく本を読む。暇さえあれば、時間を忘れて読みふけっているのである。 しかし何を読んでいるかと思えば、これが実にとりとめがない。専門家ですら読むのに苦労しそうな教本を読んでいたかと思えば、誰が書いたとも知れない日記のようなものを読んでいたりと、とりあえず文字になっているものならば何でも読む――という感じなのだ。 一度、何の気なしに聞いてみたことがある。本を読むのは面白いか、と。 返ってきた答えは、別に、の一言だった。 ではなぜ読むのかと聞くと、自分でもよく分からない、と言う。ただこうして本を読んでいると、落ち着いて、気持ちがよくなるような気がする、と。 分かるようで、分からない答えだった。 面白いから――面白そうだから読む、ではなくて、読んでいると気持ちよくなる、とは。 そんな彼女を彼なりに観察した結果、何となく一つの答えを導き出すことができた。恐らく、イリスは知識欲の塊なのだ。 ただそれだけといえばそれまでだが、それだけではないと、彼女を見ていてディアンは思う。 彼女は死神として生まれてきた存在。なぜそんな風に呼ばれるのか、それはただ単に、魔族をも圧倒する力を秘めているからだけではないはず。 何か、死神たる所以があるはずなのだ。 そこに、興味がある。 今はまだ分からないが、いずれ……知り得る時も来るだろう。 「さて……。一段落したら、買出しにでも行きますか」 のんびりとつぶやいて、ディアンも片付けを再開した。 「おや? なんだ、今日もいないのか」 城外にてエディンと二人でいるプラキアを見つけて、フォルセスカは首を傾げた。 「おはようございます、フォルセスカ様」 もう昼過ぎであるが、実際今起きてきたばかりの彼にとってはぴったりの挨拶だったりする。 「ああ。今日もいい朝……昼だな」 言い直して、彼は苦笑した。 その気さくな顔に、エディンも小さく微笑む。 彼女はレダと同じプラキア付の侍女であり、何人もいる侍女の中ではプラキアのお気に入りの一人だ。そのせいか、レダと一緒にいることも多い。 ちなみに彼女はイグナーンの孫で、彼との付き合いもあって、エディンのことはよく目についていた。 「ずいぶんと遅い朝じゃな。我が君」 「いつものことさ。……しかも昨日、コルセシアから帰ったばかりなんだ。見逃して欲しいものだ」 「主殿には健康な生活を送って欲しいがの。まあ良い。今さら言うても詮無いことよ」 「まったくもって、頭が上がらんなあ……」 ふああと欠伸をかみ殺しながら、フォルセスカは樹海の方を見やる。 どうやらレダだけでなく、ヴァーグラフもいないらしい。 「では我が君も侍女をつけられてはいかがかや? エディンなどは、よく働くと思うが」 「え?」 驚くエディン。 彼女も知っていることだが、プラキアに付いているような侍女は、現在彼には一人もいない。 一応王であるというのに、彼は嫌がって欲しがらないのだ。 「あー、いつも言っていると思うんだが」 「ふむ、ではやはりレダの方が良いと?」 「じゃなくてだな。俺にはどうも過ぎたもののような気がしてならないわけだ。もともと奉仕されるのには慣れていないし、必要としているわけでもないからな。第一、俺はレネスティア一人を持て余してるんだぞ? 余裕など微塵もないのさ」 基本的に城のことはプラキアに任せ、あちこち飛び回り、不規則に生活しているフォルセスカである。そんな彼につく侍女は振り回されるか、全く仕事が無いかのどちらかになってしまうだろう。 「レ・ネルシスの町では、ここに来て我が君の傍にありたいと願う者も少なくないと聞くが、残念なことじゃの」 「冗談はまた今度、俺が油断している時にでも持ちかけてくれ。――で、あいつのことなんだが」 ようやく、フォルセスカは話を本題に戻した。 「ふむ、レダのことじゃな。エディン、しばし離れて控えておれ」 「はい」 頷き、エディンは二人から距離を置いた。 それを確認して、プラキアが口を開く。 「心配であられるか?」 「どこかで火遊びしてるんじゃないかって思うとな」 ここ一年ほどのことであるが、レダはよく城を出て、外で何やらやっているようだった。最近ではクリセニアの方にまで足を伸ばしているらしい。 「今回はオルセシスだったか?」 聞くと、プラキアは小さく頷く。 「我が甥殿に会っているはずじゃ。アレイウスはあの者のことを気に入っておったからの。適任かと思うてな」 「ま、そいつには依存は無いさ。しかしどこかで道草してるんだろうな。恐らく」 「であろうな。いつものことじゃ」 プラキアの返事に、彼は小さく息を吐いた。 どうやら彼女の方は、レダの行動をある程度容認してしまっているらしい。 それだけレダのことを認めるようになった、ということなのだろう。実際この数年でプラキアに鍛えられ、ずいぶん実力を伸ばしていた。 現に数ヶ月前には、プラキアを狙った暗殺者を事前に察し、一人で撃退している。 「思った通り、あいつは強くなれるな。大したものだ」 「教え甲斐はある。覚えもよい。努力もする……。それにアルティージェ・ディーネスカの血のこともある。いずれば、妾をも凌駕しよう」 「……気づいていたのか。やはり」 レダはこの数年、身体的な身体の成長が止まっている。というより、老化が止まったのだ。まるで、魔族のように。 そしてその原因がアルティージェにあると、プラキアにも分かっていた。 「血を舐めたと、レダはそう言っておった。レダは我が夫の血を引く者。そのラウンデンバーク家の始祖は、メルティアーナ・ディーネスカ。シュレスト・ディーネスカの第五子……」 「そういえば、そんな昔話をレネスティアから聞いたことがあったな。メルティアーナといえば、かの継承戦争で唯一アルティージェに味方したっていう姉のことだろう?」 「詳しいことは妾は知らぬが、それでもかの方はラウンデンバーク家と血の繋がりがある。そうなればもちろん、レダとも」 つまりアルティージェは、自分の最も濃い血をレダに与えることで、ほとんど薄まってしまっていた彼女の中に流れる魔王の血を、大いに覚醒させたのだろう。 その結果レダは、不老と共にその身体能力も妖魔の時に比べ大きく飛躍させた。しかし当の本人はというと、そのことには気づいていない。自分の力が上がったのも、みんなプラキアとの特訓のおかげとしか思っていないのだ。 「……ふう」 小さく息を吐いて、フォルセスカは地べたに無造作に座り込む。それを面白そうに、プラキアは覗き込んだ。 「お気に召さぬようじゃな。あの者の状況が」 「気に入らないってわけじゃないんだけどなあ……」 少しずつであるが、彼女は自分の思う道を進み始めている。そして、それを手助けする者も多い。プラキアに、アルティージェ、レネスティアも。それに自分自身も……。 「レネスティアに言わせると、あいつはきっと役に立つと言う。見ていて、俺もどこかで期待してしまっている。それに以前、娘とレダが二人でいるところを見てしまってな……。勝手な話だが、その光景が妙に嬉しかったんだ」 それは、数年前の夜。 二人が白い花畑で戯れる、小さな光景。 できれば、ずっと見ていたかった二人の姿。 「ご息女……イリス様のことであられるな」 「ああ。……やはりあいつのことはもう知っていたか」 「ふふ、あの者は一度妾の命を狙った者……。そして我が君は、あれを死神とおっしゃっておられた。それに」 「――すまない」 今更のように、フォルセスカは頭を下げた。 「ロノスティカ殿を手にかけたのは、あいつだった。俺が行った時にはもう遅かった。言おうと思えばいつでも言えたのに、今まで何となく口にできなかったんだ。本当に、すまない」 「謝られることはない、我が君よ」 静かに、プラキアは頭を横に振る。 「あの時、我が夫は死を覚悟しておった。であれば、誰の手にかかろうと、同じこと。恨みに思うつもりなど、毛頭ありはせぬ。お信じあれ、我が君」 「……ああ」 彼にしてみれば、彼女のその気持ちをありがたく受け取るしかなかった。 「だが……あいつのことを知っているのなら、もうわかってるだろう? 俺が魔王なんかをやってる理由……」 「理由、とおっしゃられるか?」 「そう、とてつもなく個人的な理由なのさ」 だからこそ、思うのだ。 レダのことを――そしてもちろん、協力を惜しまぬプラキアのことも。 「我が君が王として在るのは、ご息女のため――ただそれだけであると?」 「まあ、な」 彼が今こうしているのは、レネスティアのため――そして、イリスのため。決して、異端のためではない。 だというのに、直接関係が無いにも関わらず、プラキアは全面的に協力してくれている。レダも、また。 そしてそれに期待してしまっている自分を感じ、何とも言えぬ罪悪感を覚えてしまうのだ。 それが、ため息の理由。 「ふむ……。ならば我々の望みも、イリス様ということになろうか」 「……あいつが?」 「いずれ――かの方を、次の異端の王として仰ぐ。我が君の後継者として。魔王の子であり、またレネスティア様の子でもあるのだから、これ以上の存在は期待できぬじゃろう。我が君は、我らの忠誠の応えとして、かの方を残して下され。であれば、我らも報われるというもの」 さすがに驚いて、フォルセスカはプラキアを見返した。 「……イリスに期待すると?」 「期待に応えることのできる者と、妾は見ておる。無論、我が君もであろう?」 別に期待をしているわけではない。ただ興味があるだけだ。 イリスの、行く末に。 「親バカなだけさ。俺も、レネスティアもな。過大評価はしないほうがいいと思うぞ。もう何度か会ったが、あれはなかなか御しがたい奴だ。我が娘ながらな」 「御せる者など王などではありえぬ。気質はあろう」 「単に、我侭なだけかもしれんがな。……しかし、いいのか? そんなことで、俺の我侭を容認すると?」 「ふむ?」 フォルセスカの言葉に、プラキアは面白そうに目を細める。 「妾は今、果てしなく大それた期待を口にしたつもりであったのじゃがな。我が君は、それを容易に為せると仰せられるか?」 問いに、すぐに答えることはできなかった。 己の目的――それはとてもはっきりしているようで、しかし曖昧なもの。 具体的にどうすればいいのか、未だ分かりかねている。 ただ分かるのは、今のままでは駄目だということだ。 「異端の盟主にまでなった貴公が、あいつのことをそこまで買ってくれることについては、正直嬉しい。それに、こんな俺についてきてくれるっていうことに関してもな。もちろんレダのことも、その他のみんなのことも。できるなら、俺は応えたい。イリスが欲しいというのなら、それでもいい。しかし恐らく今のままのあいつでは、貴公らの望む王とはなりえんだろう。だから、せめてそれを変えてみせる。少しでも期待に応えられるものへと」 そしてそれは、自分やレネスティアの望むことでもある。 為すべきことは何も変わっていない。 強いて言えば、プレッシャーが増えただけ。 しかしそれも、どこか心地良いもののように……今は感じた。 次のページへ |
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